入職3年目研修レポート|新潟水俣病を学ぶ

実施日:2025年9月18日(木)–19日(金)/ 場所:新潟県立 環境と人間のふれあい館(新潟水俣病資料館)ほか/ 参加:13名

研修の全体概要

栃木民医連では、入職して3年目を迎えた職員の皆さんに「民医連が大切にしている、患者さんの暮らしに寄り添う医療ってどんなものだろう?」を改めて考えてもらう研修を行いました。
今年は新潟県を訪ね、新潟水俣病の歩みをたどる1泊2日の研修を行いました。
ただ知識を学ぶだけでなく、そこに生きてこられた方々の声に耳を澄ませ、自分自身の仕事の意味をもう一度見つめ直す時間にしたい――そんな思いを胸に、13名の参加者が集いました。

 

1日目の学び(館長のお話・館内見学)

研修のスタートは「新潟県立 環境と人間のふれあい館」でした。藤田館長から、新潟水俣病の歴史や被害の広がりについて、お話を伺いました。
1965年に公式確認されたこの公害は、阿賀野川流域で暮らす人々の命や日常を長い間苦しめてきました。
メチル水銀による汚染、胎児への影響、そして「軽い症状だから」と見過ごされがちだった人々の苦悩――
その一つひとつが、私たちの“今の医療”にも問いを投げかけていることを知りました。

館内をめぐりながら、写真や資料、当時の生活用品に触れることで、
被害が単なる病気の問題にとどまらず、差別や偏見、地域の分断へと広がっていったことを知りました。
医療・行政・企業・住民が、どう向き合ってきたか。

語り部さんのお話

その後は、被害当事者である語り部さんに直接お話をうかがいました。
阿賀野川の恵みと共にあった子ども時代、突然襲った手足のしびれや耳鳴り、
「魚を食べるな」と言われた時の戸惑い…。
ご家族の支えや、偏見と闘いながら声を上げてきた日々を、静かに、そして力強く語ってくださいました。

その語りには、「二度と同じ苦しみを繰り返させたくない」という想いが込められていました。
私たちは、医療の場で出会う一人ひとりの背景に、こんな深い物語があることを忘れてはいけないと強く感じました。

医療者として心に残ったこと

  • 科学と社会をつなぐ役割: 有機水銀の研究や診断の知識だけではなく、「どう伝えるか」が被害を広げない鍵になることを学びました。
  • “見えにくい”症状に寄り添う: 軽度の障害や外見に出ない苦しみを、丁寧に聴き取る姿勢を大切にしたいと思いました。
  • 当事者の語りに学ぶ: 語り部さんのお話から、記録では伝わらない“生の声”の力を感じました。診察室の外にある物語に目を向けたいです。
  • 次の世代への責任: 胎児への影響や母子保健の視点を持ち、地域での予防と支援に結びつけることが私たちの使命だと感じました。

参加者の声から

  • 「患者さんの“暮らしの歴史”を聴くことが、こんなに心を動かすとは思わなかったです。」
  • 「公害の被害は長く続くもの。寄り添い続ける支援の大切さを学びました。」
参加した皆さんの心に残った“学び”が、これからの地域医療の中でも息づいていくことを願っています。