2年目職員フォローアップ研修を開催

SDHとケアの倫理は、一緒に学ぶことで見えてくるものがある

2025年7月2日(火)、栃木民医連では2年目職員を対象としたフォローアップ研修を実施しました。各事業所から集まった11名の職員が、昨年の新入職員研修で出会った仲間と再び集い、それぞれの実践を振り返りながら学びを深めました。

今回の講義テーマは「SDH(健康の社会的決定要因)とケアの倫理」。

講師は宇都宮協立診療所の関口真紀医師です。

 


「SDHとケアの倫理は、一緒に学ぶことで見えてくるものがある」

関口医師は講義の冒頭で、「SDHとケアの倫理は、それぞれを単独で学ぶのではなく、“一緒に学ぶ”ことで見えてくるものがある」と語りました。

健康や医療の背景には、貧困・労働環境・教育・孤立・政策といった社会的な条件=SDH(健康の社会的決定要因)が大きく影響します。しかし、SDHの知識だけでは「では、どう関わればいいのか」という実践の手がかりにはなりません。

そこで重要になるのが「ケアの倫理」です。つまり、目の前の一人ひとりの患者・利用者とどう向き合うか。どんな関係性を築くのか。SDHで“背景を知る視点”を得て、ケアの倫理で“向き合う態度と方法”を身につけていく。その両輪が必要だと強調されました。


トラックドライバーの事例が示す「構造」と「関係」

講義では、トラック運転手の患者の事例が紹介されました。家に帰れない長距離勤務、不規則な食事、通院困難な勤務体制──SDHの視点で見ると、本人の“努力不足”ではなく、構造的な困難が見えてきます。

しかし、SDHの理解だけで終わらせず、関口医師はこう問いかけました。

「この方にどう関わるか。何を伝え、どう支援を提案するか。

 そこに“ケアの倫理”が必要なんです」

SDHは“背景を捉える目”であり、ケアの倫理は“関係を育む手”。どちらか一方だけでは、現場の支援は成り立たないことが明らかになりました。

 

 


自己責任論を超えるために、SDHとケアを学ぶ

関口医師は、「日本には“自己責任論”が強く根付いている」と語ります。「病気になったのは自分のせい」「生活保護は甘え」といった空気は、患者の尊厳を傷つけるだけでなく、支援者自身も追い詰めていきます。

だからこそ、SDHを学ぶことで“なぜ困っているのか”に気づき、ケアの倫理を学ぶことで“どんな言葉をかけるか”“どう寄り添うか”を考えることができる。SDHとケアの倫理は、自己責任論に流されず、人の尊厳を守る医療・介護の実践に不可欠な視点であることが語られました。

 

 


ケアとは「ケアする/ケアされる」の相互関係

講義後半では、ケアの倫理のもう一つの柱として、「支える側もまた支えられる存在である」という視点が紹介されました。

例えば、患者から怒りをぶつけられた職員が、他の職員と共有し、気持ちを整理しながら関係を再構築できた実例が紹介され、「職場の中に“ケアされる経験”を持てることが、ケアを継続する力になる」と語られました。

関口医師は、「ケアは個人技ではない。チームで共有し、支え合うことで質が高まる」とし、患者や利用者だけでなく、職員同士もまた“ケアし合う”関係を築いていくことの大切さを強調しました。

 

 


参加者の声から

 

参加者からは、以下のような感想が寄せられました。

  • 「SDHとケアの倫理は両方知ることが大切」
  • 「“自己責任”で片づけず、その背景を知ることがケアの第一歩だと思えた」
  • 「ケアの倫理を意識することで、患者さんの本音に気づけるようになりたい」
  • 「自分もケアされる経験を大切にしたい。チームの一員として関わりたい」

 


「一緒に学ぶ」から、実践が変わる

SDHとケアの倫理──ふたつを一緒に学ぶことで、私たちは患者や利用者の背景をより深く理解し、それにふさわしい関わりを模索できるようになります。構造を見つめ、関係を育む。「見る力」と「向き合う力」を同時に鍛えることが、支援者としての実践を支える大きな力となるのです。

関口医師の講義は、そうした「一緒に学ぶ」ことの意味を、現場のリアルな事例とともに力強く伝えてくれました。