戦争と抑圧に抗した科学者・政治家

関東地協・事務幹部学校講座「山本宣治の生涯から学ぶ」

講師:薮田さん(やぶた)

2025年6月、関東地協・事務幹部学校の講座として、「山本宣治」の生涯と思想を学ぶ講演会が開催されました。講師は、京都・宇治にて長年フィールドワークや研究を重ねてきた薮田さん。山本宣治の生涯を丹念にたどりながら、戦争と抑圧に抗し、いのちと人権を貫いた姿勢が現代にどうつながるのかを語りました。

 


科学と政治、命をかけた両輪

山本宣治(1889–1929)は、生物学者であり性教育の実践者、農民・労働者の支援者であり、国会議員でもありました。カナダでの労働体験や、科学と信仰の葛藤を乗り越えて築いた独自の視点をもとに、彼は人間の尊厳を守ることに生涯をかけました。

生物学の知見を活かした性教育や、当時タブーとされた家族計画運動にも積極的に取り組み、「バースコントロール(家族計画)」を庶民の実生活に役立つものとして普及させようと尽力しました。


無産者診療所と民医連の源流

講演では、民医連の原点とも言える「無産者診療所(むさんしゃしんりょうじょ)」の誕生にも触れられました。当時、貧困層は医療にかかることすら難しく、「死ぬ時にだけ死亡診断書を書いてもらう」ような状況でした。そうした中で、労働者や農民が自ら診療所をつくろうと立ち上がった歴史が、今日の民医連の根幹にあります。

薮田さんは、「単なる医療機関ではなく、不当と闘う医療機関としての民医連のあり方は、まさに山本宣治の精神を受け継いだものだ」と強調しました。


治安維持法に抗い、命をかけて発言した国会議員

1928年、山本宣治は普通選挙で代議士に選出されます。彼は国会の場で「三・一五事件」を取り上げ、治安維持法によって拷問・弾圧を受けた人々の実情を訴えました。とりわけ女性への非人道的な扱いについて、具体的な証拠に基づいて告発した姿勢は、国会内外に大きな波紋を広げました。

その直後、山本は右翼団体の一員に刺殺されます。犯人は逮捕されましたが、事件は「正当防衛」とされ、当局の捜査は早々に打ち切られました。薮田さんは、「政府にとって山本宣治の存在がいかに脅威であったかを示す象徴的な出来事だった」と語りました。

 


現代への問いかけ ― 医療・介護の危機と政治の責任

講演の終盤では、現代社会への警鐘も鳴らされました。軍事費が拡大する一方で、診療報酬や介護報酬は引き下げられ、地域医療や福祉現場が存続の危機に直面している現状。その背後にあるのは、かつての「戦争国家」への道と共通する構造です。

薮田さんは、「科学を重んじ、主権者として考え続けることが山本宣治の遺志」であり、「どんな困難にも諦めず、立ち向かう姿勢こそが今私たちに必要だ」と結びました。

 


栃木民医連として

私たち栃木民医連は、山本宣治の精神に学び、すべての人が平等に医療を受けられる社会の実現に向け、日々の実践を重ねています。戦争と抑圧に抗し、いのちを守るという民医連の使命は、まさにこの歴史とつながっているのです。

医療や福祉が削減され、「国を守る」という名のもとに社会保障が切り捨てられようとしている今、私たちは再び声をあげなければなりません。山本宣治の言葉と生き様を胸に、すべてのいのちを守る社会をともに築いていきましょう。