「原発事故は終わっていない — 伝言館・丹治さんの話を聞いて」

2025年6月23日、関東地協憲法・社保・平和委員会主催の「東京電力福島第一原発視察と被災地を巡るバスの旅」に、栃木民医連から工藤事務局長が参加しました。

楢葉町にある宝鏡寺・伝言館では、館の維持管理を担う丹治(たんじ)さんから、原発事故と今なお続く被害、そして“復興”の裏にある現実について熱いお話を伺いました。その内容を中心にご報告します。


■ 伝言館とは

宝鏡寺・伝言館は、故・早川篤雄住職が自らの避難生活の賠償金をもとに私費で建てた資料館です。

核災害をなくすために伝えていきたい」との思いで整備され、広島・長崎・ビキニ・福島をつなぐ核被害の歴史や資料が数多く展示されています。

単なる「原発事故展示館」ではなく、「平和資料館」としての意義を持つ場所であり、戦争や核被害と原発政策の本質的な関係性を来館者に問いかけています。

「事故は終わっていない。今なお続いているのです。」
冒頭、丹治さんはこう強調しました。国や東電の「復興」キャンペーンとは裏腹に、今も高線量地域が点在し、住民の帰還はほとんど進んでいないのが現実です。


■ 「復興」の裏側

浪江町では事故前1,773人いた子どもが今は79人。双葉町・大熊町ではそれをはるかに下回る状況。

町のインフラも整備が追いつかず、放射線量が高い地域が数多く残されています。
「町村に将来はありますか?」という丹治さんの問いは、視察した私たちに重く響きました。

一方で、住民が戻れないにもかかわらず、PR事業や「復興イメージ」作りには多額の公費が投入されている現状も報告されました。


■ 廃炉作業の現状と健康影響

880トンのデブリのうち取り出せたのはわずか0.9グラム。兆単位の税金を投入しても焼け石に水です」と丹治さん。

汚染水の発生は止まらず、トリチウム以外の放射性物質の処理も困難な状況。

さらに「いわき市では心筋梗塞や脳梗塞の死亡率が全国平均より高い」ことを指摘。
被ばくの影響はすでに始まっている」と語られました。

福島県民だけが年間20ミリシーベルトまでの被ばくを容認させられているという不公平な基準も紹介され、「これは重大な健康・人権問題だ」との強い訴えがありました。


■ 原発政策と核兵器技術の関係

丹治さんは、原発政策の背景に核兵器技術温存の意図があることにも言及。

「原発は“平和利用”と言われているが、使用済燃料からはプルトニウムが取れる。
日本には原爆6,000発分のプルトニウムが存在している」との説明に参加者一同が息をのみました。

浪江町に新設されようとしている米・ハンフォード研究所と連携する核研究施設の存在にも触れ、
住民の願う“復興”ではなく、“核利用”が進められている」との現実を教えていただきました。


■ 早川住職の思い

伝言館は、早川住職が長年の反原発運動の中で「核災害を二度と繰り返させない」との強い信念のもと、避難先から戻り、わずかな賠償金をもとに建設したものです。

「科学がどんなに進歩しても、放射能を消す薬は存在しない。だからこそ、人間は手を出してはならない」

「暴力のない社会こそが平和。原発事故は暴力そのもの」

その言葉が丹治さんの語りを通して、今なお来館者に生き生きと伝えられています。


■ 参加者の声

今回訪れた宝鏡寺・伝言館では、参加者一同、大きな衝撃とともに多くを学びました。

いかに原発が危険で悲惨な結果をもたらしたのか、その現実がひしひしと伝わってきました。事故は決して終わっていない、日本の社会が安全になったとも言えないという“ねじれた現実”を痛感しました」という声が聞かれました。

また別の参加者からは、
こうした“伝える場”がなければ、事故の現実や教訓が風化してしまう。国や電力会社の資料館だけを見学するのではなく、市民が立ち上げた場にも必ず足を運ぶべきだと感じた
との感想も寄せられました。

さらに、
知らなかったこと、報道では触れられない事実がたくさんありました。今回学んだことを周囲に伝え、原発政策のあり方を考えていきたい
という前向きな声もあり、参加者それぞれが原発事故の「終わっていない現実」と向き合う機会となりました。


■ 栃木民医連として

今回の伝言館でのお話を受け、事故は決して終わっていないこと、復興の実態は住民不在であると感じました。国と電力会社の「復興」イメージ戦略に惑わされず、真実に耳を傾け、被災地とともに歩むことこそが、私たちに求められていると感じています。

栃木民医連として今後も原発ゼロ社会の実現をめざし、平和で安全な未来を築く活動を続けていきます。