福島第一原発を訪ね、核の恐怖と復興の現実にふれる

〜反核医師の会で現地を視察〜

六月初め、反核医師の会のメンバー二十名が福島第一原発を訪れました。視察では事故から十四年が経過した現場の厳しい現状や、今も続く廃炉作業の困難さを肌で実感。周辺地域の帰還困難区域や伝承館・資料館も訪問し、原発事故が地域の暮らしや人々の人生に与えた深い影響に改めて向き合う機会となりました。

栃木民医連としても、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう核と原発のない社会を目指し、平和と安全な医療・福祉の実現に引き続き取り組んでまいります。


福島第一原発視察で核の恐怖を実感
天谷静雄

六月初めに反核医師の会の一行二十名で福島第一原発視察をしてきました。厳重なチェックの後に線量計下げて構内に入りましたが、バス内で0.1μSvだったものがバス外に出ると0.3μSv、4基の原発を見渡すブルーデッキに上がると28.6μSvと三百倍近くに跳ね上がるのに恐怖を覚えました。敷地を取り囲むように汚染水を貯める巨大タンクが林立。ここでALPS処理水を海中に流す工程について説明されました。ここでは毎日4500人が作業中。事故から十四年たっても燃料デブリをわずかに取り出しただけであり、廃炉作業は順調に進むのかなど疑問は深まるばかりでした。

福島市から来る途中、浪江町津島地域を通過してきました。ここは山間地のため除染が進まず帰還困難地域に指定され、四百五十戸あった戸数が十戸に激減。くらしと生業を奪われ、先祖伝来の土地を離れなければならない苦しみと悔しさが土地の人から訴えられました。またここは事故直後、大熊町や富岡町からの避難民でごった返し、炊き出しや駐車場、仮設トイレ設置などでお世話した所ですが、当の浪江町には避難指示が出されず。ここは安全かと思ったら放射能のプルームが風向きの関係で西北方にあるこの地域を襲い、高濃度の汚染地域になったと言う皮肉な話も聞かされました。

双葉町の伝承館や富岡町の廃炉資料館も観てきました。展示は原発の安全神話を信じいざという時のための用意を怠っていた、このことを厳しく反省するという主張で貫かれていました。しかし廃炉にはあと四十年かかり、毎年二千億円かかるとして8兆円の莫大な費用を要すると聞きました。これが電力料金に上乗せされるのか。できてしまったものは仕方がないが、このような苛酷事故を起こす原発は絶対減らし続けてゼロを目指すべきだと思いました。(天谷静雄)*写真は(廃院になった診療所前で)